足利樺崎寺発掘調査に参加して.2
リポーター/Graphic Designer 三村耕平
1997.10.5
リポートは個人的な記述・表現もあります。
園池よりさらに南側にも遺跡の発掘現場がある。現在も発掘中のようでさらに調査が待たれる。また古い樺崎川は現在の川より道を挟んで八幡山側に流れていたらしく、古い川底も発掘されていた。 |
土に直接柱を立てた建物(堀立柱建物)の跡地。すぐわき(写真手前)には、昔の樺崎川の川底があり、川の治水に関係する建物かもしれないと調査員は話していた。柱跡や、井戸跡らがはっきり確認できた。 |
その昔、大きな浄土池といくつもの伽藍や建物を有した、ここ樺崎寺の跡地も荒廃や廃寺などの時のながれを待ち、里の人々の口を満たすために田圃に変わってしまった。その田圃の下には当時を知る埋蔵物は決して自然を壊すことなく数百年の間眠り続けていたと思うと、歴史とは確実に次の時代へと引き継がれてゆくのだという強いメッセージを感じる。 今の私たちの生活や文化も数百年経って、その子孫達に大きなメッセージを伝えることが出来るだろうか。私たちは急速に発展した工業やエネルギー革新により生活の快適さを求め、このわずか100年の間、人間だけの身勝手さを押し通してきた。その結果、地球規模の環境を変えてしまうような大きな代償を今払われようとしている。その代償が我々の子孫の未来を暗いもにしないようにする義務が、私たちにある。高度な現代社会が吐き出すものは文化ではなく、環境破壊ではないかと思うとき、未来から見た私たちの歴史はロマンなど存在しないものになりかねない。 |
自然を友にし、友たる自然を支配してはならない。自然と共存する生活を創ることが未来の子孫へ私たちの歴史をバトンタッチする健全な道じゃないだろうか。 |
後日続く/BACK |